30歳死亡説の検証にあたって。

BBAに片足突っ込んだ者のなんとも痛々しい戯言。音楽と心理学と兎とトマト。

黎明

19歳の時にTwitterをはじめた。

当時はまだ『こんなSNSが海外で流行っているらしいよ』的な評判。
ユーザーも多くなく、著名なユーザーといえば”広瀬香美”・・みたいななんとも絶妙な空気感だった。
まさに黎明期。

当時の私は、大学に全く馴染めず、その割に学費が要るわで益々斜に構えて生きていた。
エクステをつけて毛先を長くした、深夜帯のコンビニ店員。+αのバイト三昧。
要するに、身体は忙しいが心は暇だった。

そんな私にバイトリーダー(笑)は
『キャサリン(わたしのあだ名)、そんなに毎日楽しくないならiPhone買うとか新しいことしてみたら?』と。

なんでキャサリンなのかとか、なんで新しいことのチョイスがiPhoneなのかとかは、
バイトリーダー(笑)から色々説明されたがここでは割愛。
ちなみにバイトリーダー(笑)は、同じ時間帯にシフトインしてた人妻に耳掃除を頼んだことでクビになってた。



話は逸れたが。
そんなきっかけでなんとなくiPhoneを買い、なんとなくTwitterをはじめた。

はじめてしばらく経ち、もうすっかり使いこなした頃。
神戸で食べた豚の角煮が不思議な香辛料の香りがして美味しかったが分からなくて再現できないという旨を投稿した。

スターアニス八角)ではないですか?独特の香りがして美味しいですよね~』
とURL付きでリプライをくれた方がいた。

それが”黎明さん”だった。



当時のわたしにとって、黎明さんは独特の存在感だった。
30代半ばぐらいの男性だが、中性的な雰囲気もあって人畜無害な感じ。
言葉選びやユーモアのセンスがどストライクで、時々センチメンタル。
こちらがちょっとお気持ち厳しい時には、そっと言葉を添えてくれる。
そういうエッセンスのある方なので、人たらしというか懐かれやすい部分もあったのかな。
きっかけは忘れたけど、全くの遠方に住むセクマイさん(Aちゃん)・黎明さん・わたしでコチョコチョとTLでふざけ合うことも頻繁だった。
直接的対人関係とは違っているからこその、健康で心地よいコミュニケーション。
それが楽しかった。
ちなみにAちゃんのアカウント名は、我が子がもし産まれたらその漢字を用いたいなと思っていた、わたしの好きな花だった。

きっとAちゃんもそうだったと思うけど、”黎明さんがいるからTwitter=おもしろい”っていう面があったと思う。



でも、ある日突然、黎明さんは消えた。
理由が分からなくてすごく悲しかったし、Aちゃんとも黎明さんのことで初めてDMをした気がする。

会ったことも無いのに、喪失感を覚えた。
一方で、Twitter上の人間関係の至極当然な脆さも実感した。



消えた理由、いろいろわたしなりに想像を膨らませていた。
おそらくそうなんだと思う。きっと。
でも、わたしも黎明さんみたいになりたい。
黎明さんみたいな存在でありたいし、黎明さんみたいにSNSと付き合いたい。
今はまだ全然無理だけど。



なぜかふと、黎明さんのことを思い出したのは
めったに更新しないわたしのInstagramに、Aちゃんからの「いいね!」があったから。

Aちゃんも生きている。きっと黎明さんも生きている。
わたしは、あの時のわたしとは全然違うけれど、とりあえずは生きている。

全室リニューアル回想①

誰にも言えないことはネットに放つ。流す。

後ろめたいことはそりゃ当然。
打ち明ける際の認知的負荷が少なくて気楽だから。
その他、諸々。



私の場合、
副業でラブホテルの店員として約2年働いていたこと。

言えない理由。
ひとつ、本職のほうが単純に副業禁止(契約社員で児童福祉職をしていた)。
ふたつ、家事を放棄していることを周囲に咎められるに決まっている。
みっつ、性的なことを目の当たりにしていることは知られないほうがいい。

知っているのは夫とネットの人たち。だけ。

お金が要る理由。
進学費用の足しにするためと、
進学する覚悟を自分が確認し、夫にも理解してもらうため。
なんら後ろめたいことはない。

進学することを黙っていた。
家庭を放棄することと同等とみなされ、批判されることが自明だったから。

誰も褒めも同意もしてはくれないね。
夫以外。



色んなことを人に言えない(=バレてはいけない)なかで、面接1件目。

朝9時に面接。
場所、リネン室。相手、中年女性2人。
結果、即落ち。

『こういう業界ね、”土日祝出勤しません”って採ってくれるところまずないわ』
・・そりゃそうだ。
私はまだ、家庭も学業も捨てきれず、妥協点を探っていた。


覚悟が足らん。


何が覚悟か分からぬまま、面接2件目。
本職後の18時に面接。
場所、ボロボロの応接室。相手、わたしとさほど年齢変わらなさそうな男性。それも好青年。
例えるなら、黒猫チェルシーのVo. 渡辺大知。
正直こんな密室で、気色悪いおじさんと2人きりとか嫌だなと思っていたところに、黒猫チェルシー
まあ悪くはない。ちょっと安心。
『あー、土日祝ダメなんですか。でもまあ、こういう業界に珍しく、真面目そうな方ですね。』

結果、即採用。

即出勤。
黒猫チェルシーはオーナーだった。



そんなこんなで、
別に何も後ろめたいことはしていないが、夫とネット民以外には話せていない昔話。
たぶん気が向いたら続く。

黒歴史とみなしているものは懺悔・心咎・不全感

『怒らずとも子どもと関係が取れる指導員になりたい』
と、うら若き頃のフレッシュなわたしは宣言した。



鼻で笑われた。施設長に。
「なれるもんならどうぞ。」と。



既出の通り、わたしが初めに勤めた社会福祉法人は明らかにトチ狂っていた。
何もかも。本当に何もかも。

児童入所定員約100名、時代に逆行した大舎制施設。
大学4年の夏よりアルバイトで勤務していたが、おかしなところを挙げるとキリがない。

これは全国どこの福祉施設でもそうなのかもしれないし、そうじゃないのかもしれないが
まあなんせ、毎日職員から子どもへの怒号が響く。
しかし、ここでは、理不尽で子どもの心を踏みにじるようにも思える言葉すら飛び交う。
不必要な叱責と蹂躙。
はじめはそれに驚愕したが、次第に麻痺していく自分もいた。

あるベテラン女性職員は言った。
「ここは家庭的養護の場ではなく、昔で言う”教護院”やから。児相もうちのことそう思ってる。」

ドヤ顔で述べたその職員がナチュラルに恐ろしかった。
ああ私、勤める場所間違ったんだなと。

そんな中で入職時のわたしが志したのが冒頭の『怒らずとも関係が作れる指導員』だ。
分かる人には分かっていただけるであろう、
当時のわたしが振り絞った最大級の厭味。現存職員へのアンチテーゼ。生意気な。
だから施設長も鼻で笑ったんだろうな。



とはいえ、日々感覚は麻痺していく。
『こんなことも子どもに指導できない(させられない)のか!?』と管理職から指摘される。
勤務外の真夜中の時間や、夜勤明けで一睡もしていない朝の打ち合わせ。
指導力不足”というテーマだけを先行して突き付けられ、肝心な”指導力”がなんであるかを見出すことすら忘れて。

先輩職員も同期も後輩職員も頼れない。
上司と不倫した挙句、妊娠中絶して仕事に穴をあけたり急に辞めたり、色恋にトチ狂った非職業人≒アホ猿どもが数匹。
なんの専門性のかけらも感じられない上に、施設の風潮になんの違和感も持たずに児童にキレ狂う職員。
対人援助への熱意が空回りして児童にも職員にも過剰な叱責・指導する惜しい職員。
法人の体制、職員の方向性、なにもかも全て理不尽極まり無い。
みんなとっくに限界通り越してトチ狂ってたんだろうか。

日々強くなる『私だけはちゃんとせねば』という間違った信念が良くなかった。

そのうち、私も麻痺がエスカレートしたせいで
”仕事ができる(=指導できる)存在”として扱われるようになった。
知らずのうちになってしまっていたことにも気付かず。
職員からも期待され(というか完全に人材不足が原因)、2年目で先輩を差し置き、副フロア長。
担当児童から『いずれ主任とかなるタイプ』、担当外児童から『小学生男子を制圧してるのは先生』と揶揄され。
ある担当児童からは『俺はここのこと刑務所やと思ってる』と・・。

正直、気分がいいものでは全く無かった。自分に対する不快感と嫌悪感。他者への懺悔。
とっくにもう限界だった。
自分がなりたくない質の指導員になってしまっている、という明確な証拠。
理想との不一致、だいぶんとキツかった。

そんな職場ではあったが、今でも交流がある尊敬できる上司が数名いる(逆に他とは絶縁した)。

主任は、私の理想不一致感・空回り感・不適切な方向に行ってしまってることを察し、新年度に配置換えとなった。
『気付いていたけど、今まで何も助けてあげられなくて申し訳なかった。』
『もう”自分だけがしっかりしないと”と思わなくていい。そういうメンバーにした。』
『指導だったり、最終的な責任や締めは俺が担うから。肩の力抜いて楽にやってよ。』
本当にこの1年は、肩の力抜きまくった。

夜中の自傷、無断外泊、破壊行為、不良行為、引きこもり・・
担当と役割が変わり、いろんな児童からの多様な表出が目前で出てきて大変だったけれど
”指導員として怒らずに関係をとる”というのをやっと体感させてもらえた気がする。



当時、職員の交換研修会というものがあり、施設間で職員を交換する機会があった。
『どこへ出しても恥ずかしくない職員だから』というまた変な理由で
先輩の順番をすっ飛ばして私が参加させてもらったことがある。

幸い、というか偶然にも、私は超イレギュラーな形で、他施設の心理職の方とペアになった。

その時にうちの施設長、
「この職員(私)はね、怒らずに子どもと関係が取れる指導員になりたいって
 新任の時は言ってたんですけど。最近はまあようやく現実が見えてきたようですわ。」と。
ふふ、やはり私のなりたくなかった指導員化は加速してんねやなと己を嘲笑した。

でも、しばらくしてその心理職の方と二人で話していたら
「僕も実は元・指導員だったんですよ。一度退職してから進学して・・」と。
「指導員の時の僕と今の僕ではちょっと違いますよ(苦笑)」
「その”怒らない関係”を目指したいっていうのは、すごく分かります。
 むしろ、たくさん怒ったからこそ気付いたのかもしれませんけどね。」と。

その時に、”なりたくない職員化”の加速は止められることや、どういう視点で対人援助に携わりたいのかも確信した気がする。
要するに、こんな職場辞めて院進目指そうかな(≒やっぱり心理職したいな)って、現実的な形で考えるようになった。



あれから、約5年が経つ。
長々とした都合のいい自分語り。己を肯定して慰めるような稚拙さ。狡い被害感覚。他責的感情。

依然としてそこで勤めた約3年半は、私にとっても、私に関わった人にとっても、黒歴史であり続けるのかもしれない。
ただ。私はもう、”指導しなきゃ”という自分の身に似合わない重荷からは解放されている。
それどころか。
やっと『叱責や指導ではない方法で相手と関係が取っていくことが大前提の対人援助職』の道を歩み始めている。
きっと、自分が目指した支援は今までとは別の苦悩を伴うだろうけど。
当時に積み残したままのたくさんの不全感や懺悔を忘れないように。

梅雨空はユングの共時性

心理学という学問に過剰な期待をしがちなのではないか。
と思うと同時に、心理学なんて誰からも必要とされていないのではないかとも思う。

ただ、それは専門性の部分で非常に無責任なことなので
わたしはその焦燥感を糧にして、今後も歩むことになるんだと思う。

わたしは曖昧なものが嫌いだ。抱えられない耐えられない。
自分自身のことになると特に。


・ ・ ・
『あなたが何で大学院の進学を決めたのか、僕、知ってる!覚えてる!』
『”臨床心理学”が嫌いだったから、だよね!強烈に覚えているよ!』
わたしが慕っている教授は、お酒が入ると私をこう揶揄する。

確かに、学部時代の私は「臨床心理学」が嫌いだった。
臨床系の講義のつまらなさ、曖昧さ。
全て臨床系の教授から滲み出ているせいにしていた。
心理学の専門家になるとはこういうことなのか・・と結構内心引いていた。
(その結果、臨床系の単位が足りず、学部時代の取得単位→新カリキュラム単位読み替えに失敗したのだが)
(そのおかげで、現任者講習会というバカ高いレア講習も受けれたのでまあいいか)

だからといって、精神分析は嫌いじゃなかった。むしろこれぞ心理学という印象があったし。
が、はっきり述べ切らない臨床系教授の独特のすっきりしないまどろっこしさが苦手だった。
自分でフロイトの本を読んで、自分の脳内に収めていくほうがまだおもしろかった。
(この辺りが如何にも、曖昧さの許せなさ・・といったところ。)
単に、当時の自分が知りたかったことは認知・生理・神経心理学に偏っていただけの話ともいえるが。
フロイトに傾倒→痛烈批判と態度の目まぐるしい三島由紀夫氏の作品にどっぷり浸ったのもこの頃。


・ ・ ・
非常に前置きが長くなったが、そんな経緯で院進した私は、やはり教授が揶揄する通りで。
ただ、非科学的心理学というものを全否定しているわけでは決してない。
人生を生きるなかで、自他問わずそういうものは伴ってくるよなとは思っている。

結婚1年目の梅雨。
わたしはこの頃、とても調子が悪かった。
周囲の誰彼もから「一番幸せなとき」と思われていたけれど
仕事も人間関係も、実は自分の人生を騙し騙しやってきたせいで崩壊寸前だったんだと思う。

大雨が降るある日、通院帰りの私は、実家の軒先で燕の雛が巣から落下していたのを見つけた。
人間でも冷えるなと思う悪天候のなか、産毛もまだ完全に生えていない生命体が
虫の息とはいえ、鼓動は力強く打ち、一生懸命に呼吸をしている。

こんな私が救いの手を差し伸べたとて。
人臭い雛はもう野鳥として親鳥には養育してもらえないかもしれない。
おそらく待つのは死のみ。だったとして、このまま何の手立てもなしに見殺しにするのか。

わたしは当然、他人のこととは思えなかった。
だって、通院したときに「7週だが心拍が確認できない」と言われた直後だったんだから。
「ああ、いまこの目の前の事象と自分の体内で起こっていることは、いわゆる『共時性』ってやつだ。」
「ここに因果なんかあるはずがないのに。そういった超越的体験は信じたくないのに。」

結果的には、なんの生命も守れなかった己の非力さがズルズル後を引き、泥のような時間を味わった。
燕ちゃんご一家なんて、数年間は実家の軒先に来てくれなかったものね。結構ショックだった。

でも後々になってみると、その一連の体験理解には『虫の知らせ』という言葉を用いるほうが、よっぽど気が楽だった。
共時性』というような曖昧でぼんやりした概念を使って、自分で作った非科学的慰めナラティブを構築する方がよっぽど救いだった。
「単なる偶然だよ!」と必要以上に現実主義を振りかざし、鼻で笑って一蹴するにはその個人にとっては重厚すぎる体験、誰にだってあるよ。


・ ・ ・
長くなってしまった。
“(ある種の)臨床心理学”の歯切れの悪さが苦手というわたしだけれど否定はしていないよ、という話。
ABAとかCBTとかのほうが好きではある(というか、専門家として実用しやすいと思う)が、
決して実証出来ないものや事象を信じていないわけではない、ということですね。言い訳。

曖昧なものを抱えることと、明確な指標のなかで理解することのバランス感覚を養いたいね。

太陽

『太陽』にまつわるプレイリストを作ってみての所感を簡単に。




当然っちゃ当然ですね。光。
太陽プレイリストを作るにあたって、イメージしていた通りの曲。
騙されちゃいけないのが、曲自体は光のようでも、歌詞がそうでもないパターンが多い。
cero「さん!」”悲しみは消えない
MISIA「陽のあたる場所」”悲しみを笑顔に変えよう”

でも ”ふたたび手を取る日まで” や ”明日はきっと来る”祈りは含まれていて。
光=希望というエッセンスが強めなんだなと。

EXILE「Rising Sun」や星野 源「SUN」もそうかな。
THE BACK HORN「太陽の花」も、そうだ。
BENNIE Kサンライズ」なんかめちゃくちゃ応援歌ですね。好き。




まあこれもイメージはつきやすい。
光を与えてくれる存在、輝いている存在、憧れている存在を太陽に喩える。
太陽=愛する人、愛、情熱は連想しやすい。
THE YELLOW MONKEY「太陽が燃えている」なんか、凄いね。
太陽は夏のイメージも強いので、それを上手く比喩的に用いた明るい恋愛ソングもありました。

反対に別れの曲も、ちらほらあったけれど。
(Le Couple「ひだまりの詩」は泥酔時に泣きながらカラオケで歌います。18番です。)

興味深かったのは、太陽は自分 or 第三者(ex.愛する人)どっちなんだい問題。
照らす存在はどっちなんだい問題。

愛する人に光を与えられる歌詞が圧倒的に多い中、
踊ってばかりの国「太陽」”僕が太陽さ 君たちの太陽さ 踊れよ”。
なるほど。これは自己愛?なのか、投影なのか?さておき。

照らすにせよ、照らされるにせよ、誰かに影響を与え、与えられ。
愛だなと。
大袈裟になんでもかんでも”愛”で適当にまとめんなと言われればそうなんですけど。


玉置浩二NaNaNa(太陽なんていらねぇ)
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TOKIO版(玉置浩二来なくて放送事故の回)
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太陽の存在真っ向から打ち消して
俺とお前の存在を熱望するという熱さとに圧巻・脱帽と言う意味で。
上述のように荒く括らせてください。





分かりやすい対構造ですけど
太陽=昼=明=陽=光
  ⇔夜=暗=陰=闇:いわゆる後ろめたい存在目線での曲。
ツイートもしましたが、BUMP OF CHICKEN「太陽」なんかまさにこれ。

注目すべきは、意外と「秘められるべき恋愛(とその情熱)」みたいな曲もあり、
これはプレイリストにまとめてみて初めて気付きました。特にV系
私のライブラリの中ではAcid Black Cherry「黒い太陽」やSOPHIA「SUNNY DAY」ぐらいしかなかったけど。


なかでも、良かったのは椿屋四重奏「太陽の焼け跡」。
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単に中田さんの色気が増長されてよかったのと、
映像や文学を味わっているかのようで、よかった。
歌詞内のテーマはもうすっかり世の中にはありふれているのだと思うけど。
個人的にはよかったのです。


*****
光も影も、表も裏も、善も悪も
全てを包み込むような「太陽」という唯一無二の母性的存在。

カルミナ・ブラーナの第1部 春より「万物を太陽は整え治める」も
きちんとプレイリスト入りして、なるほどなと。しっくり。

キーワードしばりでのプレイリスト、予想外に楽しい。
私の太陽プレイリストは69曲(約5時間)に仕上がりましたが、未完成。
まだまだ考察が浅い。
おススメの太陽ソングがありましたら、大募集中でございます。


*****
最後に余談。太陽といえばやっぱり。

銀魂で桂が立ちションしながら
太陽のKomachi Angel」を熱唱していたシーンが思い出されます。

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桂が一番好きで、桂の声をされてた石田さんが
私がリスペクトするぶりぶりざえもんの声も担当となり、喜んだものです。

輪廻転生(死のはなしはエンドレス)

三嶋由紀夫の自死を『あんな馬鹿げたことをしたもんだから・・』とある著名な方が述べた。
まあ、あの死に方・演出自体は捉え様によっては馬鹿げているとも採れるか。

ただ、私は大の三島ファン(これは大変誤解を招くことが多い)。
自死を以って人生を美しく終えるという彼の価値観・美学に対しては、そんなに拒絶反応を起こさなかった。
彼の人生ですからね。悲しんだり迷惑したり憤ったりするのはあくまでも三島以外の他人。
自分の人生を自分が思う形で全うするという意味では、否定できない気もしている。



例えば現代。線路に飛び込み電車を使っての自死
人身事故として乗客・利用客にアナウンスされ、ホームでは生き急ぐ人々の舌打ち。
自死の話題で喜ぶ人はまずないけれど、批難されるのも如何なものか。
遺された手段がそれしかなかったのかもしれない。
唯一の意思表示が自死しかなかったのかもしれない。
そんなことを考えると、むやみに私は怒れず、
イライラが募る群衆の中で死者の最期の意思を勝手に想像する。



自死について考えると、やはり私の父親のことを考える。
父は「死んでしまいたい」という表現だった。「死にたい」ではなかった。
そこに違いはあるのかな、なんて考えてみたが、分からん。
いわゆる『死にたいほどしんどい』という状態か。分からん。自死も簡単ではない。
死ぬつもりであったけど死ねなかった経験がある人も現に多いだろう。

そして私はまた、父と全く同じような希死念慮を抱いていた当時の好きな人を思い出す。
幼いながらに父のことを気に掛けて生き続けたのと同じく、
私は一生この人のことを見捨てられず、気に掛け続けるのかもしれない。
(記事数少ないブログでこの話題2回目)

何が書きたかったのか。
自死は表現なのか?!という疑問が湧いただけです。
それ以上も以下もありません。



自殺擁護、自殺肯定のような記事を書いてしまったが、決してそうではない。
やはり、苦しんだ結末として死を選ばざるを得ないのは、悲しい。

忘れないのは、数年前のクリスマス。
ラブホテル副業から私が帰宅した深夜2時、
ベッドで丸まって嗚咽を漏らす旦那さんの姿。
幼馴染で野球のバッテリーを組んでいた親友が練炭自死したと。

遺された人間には無念さが一生残る。
己の無力さを味わい続けねばならない。

『死にたいけど死ねない』人間を生かすべきか、死なせるべきか。
そんな「べき論」では無く、自分はどのように抱えることができるのか。
そんな日のために柔軟な頭にしておきたい。



余談。
私は実は生命の尊さ、生まれて死ぬことの尊さや虚無を
まだまだ掴みきれていないからこんな戯言が述べれるのだろう。

兎と暮らしだして約3週目。
毎朝帰宅し、毎晩帰宅したときに、愛兎がしっかり生きていることが幸せで。
どの生命にとってもこれは当たり前じゃないんだと、その瞬間に生命を痛感する。
抱いた時の重み、ぬくもり。生きることは重み、ぬくもり(ではない)。

生命談義は止まりませんね。
生=性なので、真面目な意味での性談義もいつかは。



BGM:
□□□(クチロロ)/あたらしいたましい feat. 金田朋子

令和元年の遺し物

「愛について。私はその存在が何であるかを自問自答し続けねばならない 。」

 

 

 

などと、似非ロマンチストが申しており。

などと、哲学者気取りが申しており。

それは皆、私であり。

 

親、養育者、時には自らより与えられるものである名前。私は相手の名前の意味とか大事にしたい人間なので、同じぐらい自分の名前の意味も大切に扱っているつもり。

 

私の名前にその字が含まれている限り、私は丁重にそれを考えねばならない。という思い込み。自分への縛り。

 

 

 

前置きはさておき。

『旦那さんのこと愛してますか?』

と、唐突に知人から尋ねられた。

 

核心を突かれたのか、瞬時に脳内はフリーズ。

 

“まず愛を定義してくれないと、そんなこと安易に言葉にするわけにはいかないよ”と言い返したかったが、この場で会話がめんどくさくなるのも、今後めんどくさい人間認定されるのも避けたかったので、さて困った。

 

 

 

結婚生活、今現状の生活では表面的には問題なく暮らしてて、仲も別に今は険悪ではないし、極一般的な意味で言えば愛してるんだと思う。

 

問題なく暮らせるから愛してる?仲良しだから愛してる?経済的に支えてくれるから愛してる?好きなことさせてくれるから愛してる?優しいから?怒らないから?好きだから?

抽象を具体化するかわりに、こじつけのような理由を挙げれば挙げるほど、愛はぼやける。

 

 

 

そもそも、こんな厄介なことを考えはじめたきっかけは、指導員当時、真摯に向き合っていた小学生と生い立ち整理の作業をする中で『先生は名前通り、僕に愛を分けてくれるの?』と投げかけられたことだった。

 

私が彼に分けてあげられる愛ってなんだろう。

彼はどういう愛を求めていたんだろう。

数日後に里親と縁組になる君に、私はどんな愛を分けてあげられるんだろう。私とは2度と会うことがないであろう、君に。

そもそも愛ってなんだ。分けられるものなのか。私に愛なんてあるのか。

 

 

 

 

愛を前提にしたら。

途端にこの世界から消えてしまいそうな、居ないも同然のように扱われかねないような。

産まれた瞬間からそんな脆弱性を孕んだまま生きている存在も居る。

極一般的な意味での愛なんか、私は安易に定義できない、語れない。

 

愛は隙間を縫ってスイスイと姿かたちを変化させ、“〇〇的な愛”として茶を濁す。

 

 

結局、考え抜いた末に私が答えた返答は、

「どっちで答えてもどうせ揚げ足取るでしょ」「そりゃあ、これだけ好きなことさせてもらっておいて、“愛してない”なんて答えられるはずないでしょう」という、なんともお粗末な逃げぶりで。

愛によって、歯切れが悪いながらも自分の社会的面目を守ったのだった。

 

 

 

追記:ちなみに愛を問うてきた知人は、不倫相手が嫁に直接対決を申し込んできて、修羅場真っ最中である。

 

追記2:ちなみにちなみに愛を問うてきた知人は、マジのマジの修羅場になり、波乱万丈あって今は離婚調停中で、本人曰く『今1番人生で周りからの愛を感じている』そうな。