30歳死亡説の検証にあたって。

BBAに片足突っ込んだ者のなんとも痛々しい戯言。音楽と心理学と兎とトマト。

梅雨空はユングの共時性

心理学という学問に過剰な期待をしがちなのではないか。
と思うと同時に、心理学なんて誰からも必要とされていないのではないかとも思う。

ただ、それは専門性の部分で非常に無責任なことなので
わたしはその焦燥感を糧にして、今後も歩むことになるんだと思う。

わたしは曖昧なものが嫌いだ。抱えられない耐えられない。
自分自身のことになると特に。


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『あなたが何で大学院の進学を決めたのか、僕、知ってる!覚えてる!』
『”臨床心理学”が嫌いだったから、だよね!強烈に覚えているよ!』
わたしが慕っている教授は、お酒が入ると私をこう揶揄する。

確かに、学部時代の私は「臨床心理学」が嫌いだった。
臨床系の講義のつまらなさ、曖昧さ。
全て臨床系の教授から滲み出ているせいにしていた。
心理学の専門家になるとはこういうことなのか・・と結構内心引いていた。
(その結果、臨床系の単位が足りず、学部時代の取得単位→新カリキュラム単位読み替えに失敗したのだが)
(そのおかげで、現任者講習会というバカ高いレア講習も受けれたのでまあいいか)

だからといって、精神分析は嫌いじゃなかった。むしろこれぞ心理学という印象があったし。
が、はっきり述べ切らない臨床系教授の独特のすっきりしないまどろっこしさが苦手だった。
自分でフロイトの本を読んで、自分の脳内に収めていくほうがまだおもしろかった。
(この辺りが如何にも、曖昧さの許せなさ・・といったところ。)
単に、当時の自分が知りたかったことは認知・生理・神経心理学に偏っていただけの話ともいえるが。
フロイトに傾倒→痛烈批判と態度の目まぐるしい三島由紀夫氏の作品にどっぷり浸ったのもこの頃。


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非常に前置きが長くなったが、そんな経緯で院進した私は、やはり教授が揶揄する通りで。
ただ、非科学的心理学というものを全否定しているわけでは決してない。
人生を生きるなかで、自他問わずそういうものは伴ってくるよなとは思っている。

結婚1年目の梅雨。
わたしはこの頃、とても調子が悪かった。
周囲の誰彼もから「一番幸せなとき」と思われていたけれど
仕事も人間関係も、実は自分の人生を騙し騙しやってきたせいで崩壊寸前だったんだと思う。

大雨が降るある日、通院帰りの私は、実家の軒先で燕の雛が巣から落下していたのを見つけた。
人間でも冷えるなと思う悪天候のなか、産毛もまだ完全に生えていない生命体が
虫の息とはいえ、鼓動は力強く打ち、一生懸命に呼吸をしている。

こんな私が救いの手を差し伸べたとて。
人臭い雛はもう野鳥として親鳥には養育してもらえないかもしれない。
おそらく待つのは死のみ。だったとして、このまま何の手立てもなしに見殺しにするのか。

わたしは当然、他人のこととは思えなかった。
だって、通院したときに「7週だが心拍が確認できない」と言われた直後だったんだから。
「ああ、いまこの目の前の事象と自分の体内で起こっていることは、いわゆる『共時性』ってやつだ。」
「ここに因果なんかあるはずがないのに。そういった超越的体験は信じたくないのに。」

結果的には、なんの生命も守れなかった己の非力さがズルズル後を引き、泥のような時間を味わった。
燕ちゃんご一家なんて、数年間は実家の軒先に来てくれなかったものね。結構ショックだった。

でも後々になってみると、その一連の体験理解には『虫の知らせ』という言葉を用いるほうが、よっぽど気が楽だった。
共時性』というような曖昧でぼんやりした概念を使って、自分で作った非科学的慰めナラティブを構築する方がよっぽど救いだった。
「単なる偶然だよ!」と必要以上に現実主義を振りかざし、鼻で笑って一蹴するにはその個人にとっては重厚すぎる体験、誰にだってあるよ。


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長くなってしまった。
“(ある種の)臨床心理学”の歯切れの悪さが苦手というわたしだけれど否定はしていないよ、という話。
ABAとかCBTとかのほうが好きではある(というか、専門家として実用しやすいと思う)が、
決して実証出来ないものや事象を信じていないわけではない、ということですね。言い訳。

曖昧なものを抱えることと、明確な指標のなかで理解することのバランス感覚を養いたいね。