30歳死亡説の検証にあたって。

BBAに片足突っ込んだ者のなんとも痛々しい戯言。音楽と心理学と兎とトマト。

厨二病も要は使いよう

ええと、婚姻時の姓を使い続けようと思っており、先月、戸籍謄本を発行した。

自分が離婚したことが載っていることよりも、妹の夫の名前もちゃんと載っていることが妙に嬉しかった。
それよりも・・。
内容をよく見てみると、父親の従前戸籍が、わたしが知っている父の育った場所とは違うことが引っ掛かった。
たぶん、初めて気付いたわけじゃないと思うんだけど、なんか、今更気になった。

母親に尋ねると、「・・・その件、ホントにタイムリー。」と、呆れ顔。
どうやら、休みの度に“自分が暮らしてきた場所”を巡りたいと、母親を連れ回しているらしい。
還暦、まだまだ思春期レベルでのアイデンティティ探索中。

ちなみに、おのれの離婚報告のつもりで実家に帰ったつもりが、結局、父親が某大手製造会社の営業職時代に上司を殴って辞めた件について、「あれは今でいうパワハラへの正当防衛で、俺は被害者。時代が悪かった。」という話で持ち切りだった。
正気なのか、話し誤魔化すのが下手なのか。



父親は昔から自身の生い立ちを超卑屈に、否定的に捉えていた。
私がまだ学部生の頃、アダルトチルドレンの本を机に積んでいたら勝手に読み、「これ、俺のことや・・」と、ハッとしたように言う父親。
当時はちょっとヒいた。

父親の両親=わたしの祖父母は、バツイチ同士での再婚でだったそうで、祖父の連れ子と、再婚後に生まれた父ら兄弟という家族構成。
共働き家庭、社宅やら公営住宅暮らしで幾度もの引っ越し、まあ裕福ではなかったそうな。
父親は未だに、”道具代がかかるから”という理由で野球をさせてもらえなかったことや、兄は有名大学入学のために3度浪人していたのに自分はさせてもらえなかったことを、酷く根に持っている。
もっともっともーっと、ここでは書けないようなことも。後悔ではなく、ただ酷く固執している。
解消できない不満ばかり募らせて、体制批判も強い。家族としてはめんどくさい。

全く余談だけど、祖父はわたしが幼少期の頃も、ゲートボールですごくモテていた。
(なんか言いたくなった。)



今回、母親はその『幾度もの引っ越し』に当たる部分について、連れ回されてきたらしい。
片側2車線の国道を通りながら、「保育園の頃、泣きながら保育園を飛び出して、この道走ったの覚えてる。」とかナントカ。
なんとなくは知っていた『幾度もの引っ越し』の詳細については、母親も初耳だったようで、とりあえず黙って付いて行ってあげたとのこと。
母親は『とりあえず』父親に黙って付いて行ってあげる節がある。

両親は結婚にあたり、父親が”結婚しないなら別れる”と極端で不器用な選択肢を突き付け、母親はいろいろ迷った末に『とりあえず』付いて行った。
当時も今も、母親は非常に仕事熱心な人間でして、父親に理不尽な選択肢を突き付けられた当時、その仕事ぶりはすこぶる評価されていたそうな。
その社会的評価をも捨てて、母親は父親に付いて行った。
母親は「別れたらこの人死ぬんだろうなって気がしたから。私のせいで死なれたら嫌だから。」と、後に語っていた。
「(父に)付いて行くんじゃなくて、(父を)連れて来たら良かった。」とも、悔いていた。
まあ、母親が父親に対して追従せず大反発した時期も、あるにはあったんだけれど。



先日、職場のとある研修で、上司がご自身の生い立ちをケースの中で打ち明けたことについて議論になった。
講師の方は、上司に対して『先生は永遠の思春期、厨二病って感じですもんね。』と、その方の持ち味としてある意味で肯定してらした。

わたしが何が言いたいかというとよく分からないんだけれど。
父親はいつまでも思春期、厨二病から抜け出せていなくて、未だに過去の欲求不満に執着したり、自分のルーツを探ったりしてるんだなと思うと、なんか色んな意味で笑えてきた。
それが父親らしいというか、持ち味だなとすら思える。


個人的には。
厨二病の人は嫌いじゃない、むしろウェルカム(好きとは言わない言えない)ですが、たらればに異常に固執している人は大嫌いです。