30歳死亡説の検証にあたって。

BBAに片足突っ込んだ者のなんとも痛々しい戯言。音楽と心理学と兎とトマト。

黎明

19歳の時にTwitterをはじめた。

当時はまだ『こんなSNSが海外で流行っているらしいよ』的な評判。
ユーザーも多くなく、著名なユーザーといえば”広瀬香美”・・みたいななんとも絶妙な空気感だった。
まさに黎明期。

当時の私は、大学に全く馴染めず、その割に学費が要るわで益々斜に構えて生きていた。
エクステをつけて毛先を長くした、深夜帯のコンビニ店員。+αのバイト三昧。
要するに、身体は忙しいが心は暇だった。

そんな私にバイトリーダー(笑)は
『キャサリン(わたしのあだ名)、そんなに毎日楽しくないならiPhone買うとか新しいことしてみたら?』と。

なんでキャサリンなのかとか、なんで新しいことのチョイスがiPhoneなのかとかは、
バイトリーダー(笑)から色々説明されたがここでは割愛。
ちなみにバイトリーダー(笑)は、同じ時間帯にシフトインしてた人妻に耳掃除を頼んだことでクビになってた。



話は逸れたが。
そんなきっかけでなんとなくiPhoneを買い、なんとなくTwitterをはじめた。

はじめてしばらく経ち、もうすっかり使いこなした頃。
神戸で食べた豚の角煮が不思議な香辛料の香りがして美味しかったが分からなくて再現できないという旨を投稿した。

スターアニス八角)ではないですか?独特の香りがして美味しいですよね~』
とURL付きでリプライをくれた方がいた。

それが”黎明さん”だった。



当時のわたしにとって、黎明さんは独特の存在感だった。
30代半ばぐらいの男性だが、中性的な雰囲気もあって人畜無害な感じ。
言葉選びやユーモアのセンスがどストライクで、時々センチメンタル。
こちらがちょっとお気持ち厳しい時には、そっと言葉を添えてくれる。
そういうエッセンスのある方なので、人たらしというか懐かれやすい部分もあったのかな。
きっかけは忘れたけど、全くの遠方に住むセクマイさん(Aちゃん)・黎明さん・わたしでコチョコチョとTLでふざけ合うことも頻繁だった。
直接的対人関係とは違っているからこその、健康で心地よいコミュニケーション。
それが楽しかった。
ちなみにAちゃんのアカウント名は、我が子がもし産まれたらその漢字を用いたいなと思っていた、わたしの好きな花だった。

きっとAちゃんもそうだったと思うけど、”黎明さんがいるからTwitter=おもしろい”っていう面があったと思う。



でも、ある日突然、黎明さんは消えた。
理由が分からなくてすごく悲しかったし、Aちゃんとも黎明さんのことで初めてDMをした気がする。

会ったことも無いのに、喪失感を覚えた。
一方で、Twitter上の人間関係の至極当然な脆さも実感した。



消えた理由、いろいろわたしなりに想像を膨らませていた。
おそらくそうなんだと思う。きっと。
でも、わたしも黎明さんみたいになりたい。
黎明さんみたいな存在でありたいし、黎明さんみたいにSNSと付き合いたい。
今はまだ全然無理だけど。



なぜかふと、黎明さんのことを思い出したのは
めったに更新しないわたしのInstagramに、Aちゃんからの「いいね!」があったから。

Aちゃんも生きている。きっと黎明さんも生きている。
わたしは、あの時のわたしとは全然違うけれど、とりあえずは生きている。