30歳死亡説の検証にあたって。

BBAに片足突っ込んだ者のなんとも痛々しい戯言。音楽と心理学と兎とトマト。

おとうたま

『俺には結婚なんて向いてなかった』
『結婚せんかったらよかった』

思春期で多感な長女に対してこんな発言をしたことすら、
父親は既に忘れていると思う。
(下手したら自分の存在否定に走るぞ。)

別にこちらもその発言で傷ついたわけではない。

単純に、憂鬱な父親はなぜ憂鬱なんだろう、と興味を持ったまでの話。

そういえば完全に余談だが、
父親、『国会議事堂に爆弾持って突入して死にたい』と発言したことも忘れてるだろうな。笑
過去気になっていた男性が、ふと上述のような発言をして
途端に虜になってしまったことがある。あの人は好きすぎて危険だった。



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小学校高学年の辺りから、私にとって父親とは心配すべき対象であったし、
父親どころか、男性は庇護されるべき存在なのでは?などという
わたしの一視点による、思春期独特の凝り固まった思想に支配されていた。

父親は自分を私に投影する。(長女ゆえ、母親も投影する。厄介。)
性格や体格が似ているだの、生き方、こうあるべき論だの
自身を私に映し、自身が出来なかったことを私に期待する。
投影し、「お前に(父自身に)結婚なぞ向いてない」と言ってはみるものの、
別の存在としての葛藤から「(俺とは違って)安定的で幸せな家庭を築いてくれ」と懇願する。

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私はなんでもかんでも“母子関係”に帰着するような心理学的解釈が苦手だ。
理由は山ほどあるんだけれど、私にとっての重要事項が
母子関係<<<父子関係だからってのもあるんだろう。
(システムズアプローチちゃんと勉強したいね)

子どものままの父親は、きっと死ぬまで子どものまま。
私はもう小学校高学年ぐらいで、父親をとっくに凌駕した気になっていて、
それは自分の思春期をすっ飛ばしてきたことでもあるのか。
実はこういう解釈も好きではない。けど浅はかながら考えてしまう。

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父親は言った。
『なんで今更大学院なんか行くんや』
私からすれば、あなたのせいでもあるんですけどね、と。心の中で笑う。

小学校高学年からずっと引っかかっていたいろいろなこと、たくさんのこと。
今日の帰りの車中のなか、ふと、少し雲が晴れたような気がした。
台風一過なのか、私の遅咲きの思春期に終わりが見えてきた気がしなくもない。